死なないように頑張るてちこex

毎日死にたい気がしますが、頑張って生きてるゴミクズ人間です。

宗教は生きがいとなり得るか。

こんにちは。てちこexです。
今回は知り合いから宗教勧誘を受けたので、
その時に感じたことをまとめたいと思います。
 

知り合いに呼び出された理由

久しぶりに知り合いと話す機会があり、
今は〇〇に住んでいるという話をしました。
そしたら、

昔その辺りに住んでいたから懐かしい。一緒にご飯を食べたい。

と言われ、今回会うことになりました。

当日、待ち合わせの駅に行ってみたら、
知り合いともう一人いたのでとてもびっくりしました。

特にその時は気にしませんでしたが、これって勧誘の手口みたいですね。
大体2人1組で勧誘してくるらしいです。
数の圧力かけたいんでしょうか。

席に着くと、他愛もない世間話が始まりました。
知り合いは一言も発せず、もう一人とだけ話していました。
話をしながら、正直、こんな話をするために私を呼んだのではないのだろうな。  
と薄々気づいてました。それぐらい内容が薄っぺらかったです。  

なんとなく、不気味さを感じていた時、顕正会の名前が出ました。  
 

顕正会とは

そもそも顕正会とはなんなのかを説明すると、
日蓮大聖人を祀りあげて、日蓮正宗を国教化しようとしている団体のようです。
なんでも、
日蓮正宗を国民全員で信じることによって、平和な世の中が訪れるとか、、、。

実際、平安時代は全員が日蓮正宗を信じていたため、
地震や戦争が一回も起こらなかったようです。
(普通に起こっていたけど、文献が残っていなかったんだと思いますが、、、。)  

まあ、とにかく、皆で日蓮正宗の教えを守って幸せになろう!みたいな感じです。
自分一人で信じる分には良いですが、人を勧誘してくるのは辞めて欲しいですね。
 

 本題へ

あまりにも会話が薄いので、あまり覚えていませんでしたが、
いきなり、日蓮正宗って知ってますか?と言われた気がします。

そこから、顕正会に入ることで奇跡が起こっただの何だのの話が始まりました。

私の知り合いは、借金が消えた。
もう一人は、脳腫瘍が治って身長が伸びた。

・・・・・・・・・・

極め付けは、顕正会で功徳を積んだ人とそうで無い人で死んだ時の顔色が変わる。
功徳を積んでいる人は白く、積んでいない人は黒くなる。

どういうこと?
私は、割とお葬式に出ているので何回か人の死に顔を見ています。
顕正会入ってない人の顔色、普通に白かったです。

もう、よくわかりませんでした。
あんまり信じていないような私に、もう一人が、
重力を信じないと言っても、実際に存在する以上、信じるしか無いですよね?
それと同じで、日蓮正宗の教えの力は存在しているんです。
と、、、。

いや、重力と日蓮正宗は違うよね。
重力は科学的根拠があって、法則に則れば、存在証明が誰でもできる。
だけど、教えで得られた幸せって特に証明できないよね。
功徳を積んだからといって皆が幸せになれるとは限らないし、
幸せになれなければ、功徳が足りないという、、、。

つまり、同じ条件で同じ結果を再現できない。
重力などの科学とは違い、再現性がないんです。
それを科学と同じように説明するのは強引すぎますよね。

聞くのが辛くなってきたので、ここからは半分上の空でした。

結局、顕正会のチラシをもらってこの日はお開きとなりました。

なぜこんな出鱈目を信じてしまうのか?

私は見た目がぼーっとしているからか、よくマルチや宗教の勧誘に遭います。
でも、一度も入ったことはありません。
こういう出鱈目を信じてしまう人が不思議で仕方ありませんでした。

でも、気づきました。
こういう人たちって、自己承認欲求や自尊心が強いんだと思います。

現実では、自己承認欲求や自尊心を満たすためにはそれ相応の努力が必要です。
どんなに努力しても、満たされることは難しいです。
ですが、それを簡単に満たしてくれるのが宗教なのだと思います。

顕正会の教えは世界平和のために、教えを広げることを目的としています。
おそらく、信者は自分のことを世界を救うヒーロだと感じているのだと思います。

だから、活動を続けている間はヒーローでいられる=自尊心が満たされる。
そして、信者を増やすと仲間から褒められる=自己承認欲求が満たされる。
信者を増やさなくても、功徳を積むことで神様から認められる。

信じる者は、簡単に自己承認欲求と自尊心を満たすことができるのです。
出鱈目を信じることで、幸せが得られるのであれば、
それはそれで良いと思います。

勧誘さえなければ。

宗教は生きがいとなり得るか。

タイトルにもあるように、
この日の出来事で感じたことは、宗教は生きがいとなり得るということです。
宗教は勧誘行為や謎のルーティーン、お布施など、現実にそぐわない慣習があり、
無宗教の私たちにとって、理解し難く、不気味な印象があるものだと思います。

ですが、一度そこに入信すれば、前述のように簡単に欲求が満たされ、
宗教活動が日々の生活の楽しみになっていく可能性もあります。
日々の楽しみがあるだけで、人は生きがいを見つけることができます。

それは、個人にとってみれば幸せなことだと思います。

正直、私みたいな生きがいがない死にたがりゴミクズ人間よりも、
宗教で生きがいを見つけて、死にたいと思わず生きていける人の方が良いです。

ただ、私は宗教を信じたくはありません。
理由は簡単、何かを信じるのが嫌いだからです。

なので、何かを盲信できるのであれば宗教は生きがいになり得ると思います。

最後に

今回は宗教勧誘された時に感じたことをまとめました。
これから宗教勧誘を受けた時は、今日考えたことを思い出して、
ああ、この人は生きがいがあっていいな。と思うことで、
話を聞いている時間の苦痛を軽減していけたらと思います。

とりあえず、私に対する勧誘は今後一切やめてください。

以上です。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

またどこかで。